2008年5月 2日 (金)

穴の開いたパンツ

仕事でたまにある島へ行く。

この島は通称「鬼ヶ島」と呼ばれている火山である。

遠くから船で近づくと、ごつごつした岩肌の頂からモクモクと煙を吐き、まるで鬼の住む島のようなのだ。

おまけに海岸のいたるところから温泉が湧き出しているので、海水は青や茶色で濁っている。

島の頂には火口があり、最初にそこへ降りてゆくにはかなりの勇気がいる。

なぜなら、地面から、岩肌から、そこらじゅうから有毒な火山ガスが噴き出しているからだ。

そのため視界は真っ白。ガスの噴き出しているところは900℃にもなり岩は赤い。

経験的に3000円より高い靴を履いていかねばならない。それより安いと、靴底が溶けて歩行不能になる。

大気中のガスの濃度は200ppm以上(一般的に2ppmを超えると危険)、当然、ガスマスクがなくては生きていられない。

このガスマスクは、フィルターの内側に弁があり、呼吸をするたびにこの弁がピコピコと開いたり閉じたりする。

気をつけなければならないのは、マスクを装着しているときに、例えばアイドルの裸体を想像したりとスケベなことを考えないことである。

そこに唾がたまり、弁がぴったり張り付いてしまったことがある。

弁がピコピコしないので息ができない。しかし回りは有毒ガスが充満しているのでマスクははずせない。

というジレンマに陥り、目を白黒させながら、ほうほうの態で逃げ出すことになってしまった。

ガスは汗などの水分に溶け込み,木綿などの繊維を溶かす。

もし、あなたが木綿のパンツをはいていたら、おうちに帰ってズボンを脱いだときに、いたるところ穴だらけになった超セクシーなパンツをはいていたことに気づきびっくりすることになる。

以上をまとめると次のようになる。この島に行く場合、

1)3000円以上の靴を履いてゆく、

2)スケベなことは考えない、

3)木綿のパンツははかない、

以上。え、この島はどこかって?それは内緒。

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2008年4月24日 (木)

通勤電車

「仕事の思い出」と題したカテゴリーでは,仕事に関わることを思い出すがまま記録します.

今回は,約10年前に電車を使って都心へ通勤していたときの話です.

電車の中ではさまざまな人間模様が展開しています.

買い物帰りのご婦人,漫画を読んでる社会人,音楽を聴いてる青年,人目をはばからないカップル.

でも,朝の通勤電車は,一刻を惜しんで眠ろうとするおじさんたちでごった返しています.

私も,往復5時間もかけて都心へ通勤していたことがあります.

このときは,本当に心身ともにくたくたでございました.

その事件が起こったときは,ボックス席に座っていました.ほとんどの人は寝ております.

ボックス席というのは大の大人が4人も座るとぎゅうぎゅうで,身動きするのもままならないのです.

おまけに,都心に近づくにつれ通路も人で一杯になり,あふれ出した人がボックス席の空間を覆うようにしている始末.

窓側に座っていた私は次の駅で下りなければならないことに気がつきました.

こりゃーひと仕事だな.おっくうだが仕方がないと意を決し,重い腰を上げました.

しかし,バランスをくずして周りの人にぶつからないようにしなければなりません.

背もたれに手を置いて,そこに体重をかけ,そろりそろりと間違いのないように移動しようとしたのです.

すると,背もたれが動くばかりか,ぬるっとした感触が手のひらに伝わってくるではないですか.

「あっ・・・」

どうして、そのような事が起こったのかいまだに理解できません.

しかし,みんなの安眠を妨げないようにしようとの一心であったことは確かです.

驚いて目をやると,私の手の先にあるものは,見事に禿げあがったおじさんの頭でした.

寝ぼけていた私は,背もたれを通り越し,あろうことか,後ろで座っていたおじさんの頂部を確実にホールドし,それをぐいぐいと押していたのです.

一瞬にして安眠を妨げられたそのおじさんは,己のあまりに理不尽な仕打ちにとまいどいながらも,目を白黒させながら,わけの分からぬ奇声を発しました.

なんだなんだ何が起こったんだと周囲がざわつきはじめたのは言うまでもありません.

こうなると皆,安眠どころではありません.

次第に高まる喧騒を背中に感じながら,小心者の私は,脱兎のごとく一目散に逃げだしたのでした.

ごめんなさいと心の中で叫びながら.

この時期は往復4時間かけて東京に通っていました.

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2007年10月23日 (火)

山のお仕事(その2)

札幌,秋田そしてつくばから盛岡へと集結した3人は,市内で一泊した次の日,岩手山へと登りました。荷揚げのアルバイトとして学生二人を雇っています。そもそも観測機器を担ぐのが精一杯で,3泊分の食料その他まで手が回らないのです。学生には8合目小屋まで荷物を上げてもらい,その日のうちに帰ってもらいました。9月16日のことです。その日はあいにくの雨模様でしたが,連休最終日とあって登山客は結構いました。しかし観測は無理でした。

翌17日,風雨はさらに強まる。午前中に登山客はすべて下山し,お昼ごろ小屋の管理人も降りました。「では,気をつけて」手を振りながら見送ると,残ったのは我々だけです。Iwatenaka

食べて,寝て,本を読んで,小屋の中を走る。なんという単純な生活。ストーブの火も欠かせません。火が消えると寒くて仕方がないのです。途切れないように濡れたまきをくべる。

Iwatesteve

18日は風雨衰えること知らず。この日も終日小屋の中に監禁されました。山の用語では「沈殿」です。明日は下山日ですが,天気が回復すれば午前中だけでも仕事ができるかも知れない。そんなわずかな期待を抱いていました。しかし,この頃になって,天候の悪化は我々の想像の域を超えていたことを知ります。下界では豪雨の影響でかなりの被害が出ていることをラジオで知りました。

Iwateuryou

麓にある岩手県雫石の1時間当たりの降雨量です。9月17日は時間降雨量が243mmに達していました。これは今までの記録144mm(緑の線)をはるかに超える新記録です。ひと月あたりの平均降水量190.0mm(紫の線)より多い。つまり一日で,一ヶ月間にふる雨の量より多くふってしまったのです。

こんなときに山の上の小屋にいるなんて,なんという巡り合わせでしょう。結局,何の仕事もできずに,最終日を迎えました。

Iwatekoya

遠くからはるばるやってきて,こんなこともあるのです。

岩手山のプロジェクトは実はこれで終わりです。最後がこんな形になってしまいましたが,この小屋へももうくることはないでしょう。あしかけ10年です。噴火の騒ぎがあって全山立ち入り禁止となり,真っ先に乗り込みました。あの時も雨だったなあ。観測は大変でしたがいろいろなことがありました。

無人の小屋で何泊もしたり,

規制解除になってから登山客や小屋の管理人から熊と間違われたり,

夜中にこっそり抜け出して満天の星空を堪能したり,

同行者が遭難して,地元山岳会の救助隊が結成されたり

そんなこんなの思い出で胸が詰まりそうになりながら,小屋を後にしたのでした。

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2007年9月21日 (金)

山のお仕事(その1)

快調である.つくばを出てからノンストップで仙台まで来てしまった.

今日は盛岡まで行かねばならない.約500kmだ.高速を一人で運転するのは退屈でつらい.

そこで,かばんの中からCDをとり出した.

退屈だろうと,前夜,昔のCDをいくつか棚の奥から引っ張り出してきていたのである.

音楽など近頃はめったに聴かない.どんな歌手がいるのかも知らない.

昔のCDは私がダビングしたものだが,無精者なのでタイトルが書いていない.

何が入っているのかまったく分からない.

そのうちのひとつをプレーヤーに入れると音が鳴り出した.

ZARDだ~」それはあの懐かしい歌声であった.

「こんなのダビングしていたんだ!」

考えてみれば,音楽に関しては,この頃から時間がストップしてしまった.

それは,あの他界したボーカルの女の子も同じ思いではなかったのか.

こんなフレーズが流れてきた.

“大丈夫だよと言う君が一番大丈夫じゃない“

歌声だけはあせることなく生き続けるのだな.

胸にこみ上げてくるものがあった.

いろいろなCDのなかで一番気に入ったのがある.しかし,名前も曲名もわからない.

最初に出てくるのはこんなフレーズ.

 “永遠の愛の歌を ん~ふふ 聞かせてよ”

 “せつなさとやさしさをもっと ん~ふふ 教えてよ”

 

いろいろな思い出に浸りながら懐かしい曲を聴いているうちに盛岡に着いた.

さあ,思い出に浸るのはここまでだ.やらなければならないことはたくさんある.

後日追記

この文は,岩手山に登る前日に宿にて記したものである.

その後,山小屋にて記録的な大雨に遭遇することになろうとは,このときはまだ知らない.

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